現代文語彙10

君が今、住んでいる日本
言うまでもなく、日々コロナという疫病と闘う日々が続いている。恐らくは、学力や能力、考え方に差異のある世代になることは間違いなく、大学卒業後、学生運動世代ならぬ「コロナ闘争世代」とでも呼ばれるかも知れない。

 


ボーダーレス時代・・区別の曖昧化の原因はさまざまに考えられる。大人と子供の区別が難しいマンチャイルドと呼ばれる人のタイプをご存じだろうか。他者をほとんど視野に入れない子供っぽい、自己中心的な人間が君の周りにいないだろうか。資本主義の発展がもたらした個人化社会の発展がこの種の人間を生み出したと考えられる。彼らは自分の世界を他者に語ることを何よりも喜びとしている。自分が主人公であり、自分だけの世界に陶酔している、いわばオタク的な自己完結型のライフスタイルを持つ人間が増えているという。電車の中で他者の視線を気にすることなく化粧を始める若者や漫画雑誌を見ながらヘラヘラ笑っている大人を見るとゾッとするのは私だけだろうか。どうすればこうした事態をくい止められるのか。文字離れ・活字離れがその原因の一つかも知れない。こうした能力が、センター試験の影響もあってか、急速に君たちの中で衰えているようだ。読むこと、書くことがきちんと出来てこそ、自己を構成し、自分を取り巻く世界を理解することが出来ると考えている。読むこと、書くことが出来てこそ、理性や知性を育てることが出来る。君たちは、私たち老人よりも、感性は優れている。若者のビジュアルな感覚、音楽に対する敏感さ等に驚かされることもしばしばだ。しかしながら理性が無さすぎる。理性と感性のバランスこそ、今の君たちに必要なものだと思う。

 

 

高齢化社会とは・・我が国の総人口は、令和元(2019)年10月1日現在、1億2,617万人となっている。65歳以上人口は、3,589万人となり、総人口に占める割合(高齢化率)も28.4%となった。65歳以上人口を男女別に見ると、男性は1,560万人、女性は2,029万人で、性比(女性人口100人に対する男性人口)は76.9であり、男性対女性の比は約3対4となっている。65歳以上人口のうち、「65~74歳人口」は1,740万人(男性831万人、女性908万人)で総人口に占める割合は13.8%となっている。また、「75歳以上人口」は1,849万人(男性729万人、女性1,120万人)で、総人口に占める割合は14.7%であり、65~74歳人口を上回っている。約3人に一人が高齢者になるのだ。少子社会といわれ、子供を少なく産んで大切に育てるという風潮も無視できない現象だ。生産年齢人口と呼ばれる15歳から64歳までの人口が2015年には埼玉・滋賀・沖縄以外では減少し始めた。これは高齢化を支える人口が減少することを意味している。君たち一人一人に対する負担が大きくなるということなのだ。増税されると君たちの働く意欲も薄れるだろう。少子化社会では、労働力が減り、生産力が落ちる、経済力が弱まる結果になるのだ。

女性の社会進出・・なぜ出生率が低下したのか。女性が高学歴化していることと地位が向上していることも原因の一つであろう。キャリアウーマンが子供を産めない理由は、核家族化、託児所の少なさ、子供を産むとやめさせようとする会社の存在等が考えられる。かつての大家族制度で見られた、働きながら子供を産んで育てる制度にかわるシステムが十分に整っていないのだ。一度、出産のために休職しても、子育ての後に復職できる制度が教員等は認められている。このような制度を広めるべきだろう。男性の育児への参加も奨励されねばなるまい。高校で家庭が男女必修になった理由がわかるだろう。今、家庭に眠っている女性が社会進出することで、もしかしたら高齢化社会は克服できるかも知れない。スウェーデンでは実際にこの方法を取り入れているやに聞く。

豊かな社会とは・・核家族と呼ばれる世帯が増加し、三世代程度が同居する大家族は少なくなっている。老人夫婦だけがすんでいる家、あるいは老人の一人暮らしさえ少なくない。かつて老人達の経験が家族の中で尊重され、生かされ、次の世代に引き継がれていったものだ。また、孫の面倒を見ることが老人の仕事であり、生き甲斐を老人に与えてもいたのだ。現代はそういった老人達の価値を認め活用するシステムが無くなり、老人は社会の隅に追いやられるようになってきている。現在は、病院の待合室は老人達の憩いの場、最後の砦になっている。テレビの内容も若者向けがほとんどであり、老人は楽しめないものになっている。
「豊かな社会の到来」を言い出したのはガルブレイスというアメリカの経済学者である。貧困と欠乏からは、日本をはじめとする先進諸国は確かに自由になったと思われる。貧困と欠如の克服を叫ぶマルクス主義等の理論はもはや役に立たないこととなり、ソビエトや中国が早々と方向転換しているのは周知の事実だろう。ガルブレイスは新しい社会理論の構築の必要性を示唆している。貧困と欠乏の克服のために犠牲にしてきたことがらの一つが環境破壊でもある。

戦後民主主義とは・・第二次大戦後の日本の政治状況のことを戦後民主主義と呼ぶ。すべての人の基本的人権が認められている社会が民主社会だろう。主権在民・基本的人権の尊重(個人主義の原理)そして平和主義がその中心にある。人間の欲望には際限がない、嫉妬深さも免れない。したがって平等を望んでいると言いながら、実は自分だけがより多く手に入れたい、より楽をしたい、誰もがそうではないだろうか。日本の戦後は、差別と平等のシーソーゲームだったという人がいる。他者の人権を否定する差別は、女性差別、部落差別、外国人差別、障害者差別、いじめ等、まだまだ残っている。飢餓からの脱出と復興という大きな目標のあった君たちの祖父母や父母の時代は、差別の欲望を自覚しないまま生きてきたのではないか、差別をしている暇がないほど忙しかったから、たまたま、いじめなど社会問題になりにくかったのではないかと思う。次第に身の回りに増えていく電化製品、車等に囲まれて豊かさを感じつつ生きてきたように思う。ところが君たちは生まれたときから、豊かな社会であり、与えられた平等を息苦しくさえ感じているようだ。受験戦争、とんでもない、実は受験というルールを通して君たちは平等に扱われているのだ。努力が正当に評価されるシステムなのだ。どんなに生活の苦しい人でも、努力すれば社会の上層にはい上がれるシステムなのだ。ほしいものを手に入れるために、かつての受験生は禁欲と勤勉を通して努力することが出来た。韓国や中国の学生が現在、一日三,四時間の睡眠で学習しているようにね。ところがほしい物をあらかた手に入れている君たちは、欲望のもう一方の端にある誰かを差別したいという気持ちが首をもたげているようだ。諸君は、誰かをいじめたことやいじめを知りながら、見て見ぬ振りをしたことがあるのではないか。

個人主義・・憲法の個人主義の精神が十分理解されていないことも「いじめ」の原因になっている。学校だけでなく、会社にもいじめはある。差別している人が、自分が差別していることに気づかない場合も多い。基本的人権を封建主義にどっぷりつかっていた日本人は理解できなかったのだ。各人の人権を尊重しあうという精神があれば「いじめ」など起こりようがないのだ。自らの権利を主張するために、他者の基本的人権を尊重するのは当然であり、義務なのだ。学習や部活動という義務を果たさず、権利ばかりを主張する生徒が多い(かも)。

日本型資本主義・・自由競争社会を旨とする資本主義社会では、能力のある者が勝利者であり、敗者は社会の隅に追いやられることとなる。負け続ける人間は集団を作り、そのうち必ず暴動が起こり、社会は転覆する。これがマルクスの予想した資本主義社会の末路であった。にもかかわらず資本主義は現在もなおその力を失わず発展を続けている。これは資本主義が社会主義的なシステム(学校制度とか家族的経営に基づく会社組織とか)を導入したからである。日本の資本主義は中国から理想的な共産主義国とまで呼ばれるほど成功をおさめている。終身雇用制度、年功序列制度などが日本の民主主義を支え、豊かな社会を生み出してきたと考えられる。平等意識が強く、階級意識が弱いのは、学校教育のなせるわざかもしれない。

2022年02月02日