現代文語彙6

 

 

時間を考える
時間の本質・・デジタル時計(正確で一目で時刻が読みとれる)・アナログ時計(まだどれだけ時間が残されているか、どれだけ時間が過ぎたのかを扇形の広がりの中で読みとっている)
アナログ時計の空間の広がりの中で、私たち生命の動きを感じているのだろう。アナログの方が何となくいいと感じる感覚は、人間的な時間にふさわしいからかも知れない。空間性をいわば排除したデジタル時計がモノとしての時間を我々に教えているとすれば、アナログはコトとしての時間を示していると言えるだろう。

 


時間の価値・・進歩、発展することを何よりも望む資本主義的な考え方にとっては、よけいな時間は無駄としか考えません。マイナスの価値を与えられ、一分、一秒でも仕事を仕上げる時間を切りつめようとします。遅刻などは罪悪以外の何物でもありません。ところが、農業に従事している人々にとっては時間はプラスの価値観を持つものです。生命現象と深く結びついた時間は、切りつめるべきものではありません。私たち人間も生命体であるかぎり、時間を切りつめるべきではないと考えられます。ところが時間を有効に活用しようとして、現在を将来の自分のための手段としてしか使っていません。限りある寿命でしかないことを忘れ、現在を充実することなく生きている、現在を空洞化していると言っていいでしょう。受験勉強がこの意味で君たちにむなしさを感じさせるのは当然なのです。がしかしながら、将来を一切考えず、その日暮らしの楽しい生活を送ればいいのか、そうではないでしょう。現在を充実させるような生き方を普段の生活の中に取り込めばいいのです。小学校の時、粘土細工をしましたね、遠足で陶芸をした方もおられるでしょう、料理の好きな方もいると思います。これらの過程の中であなたは主体的に行動しています。作成に至るまでの現在の時間、それ自体が目的になっているのです。物が出来上がるまでの時間、この時間は切りつめられません。生きている時間なのです。キャンプが好きで、旅行が好きな人は、実は生きている時間を取り戻したいのかもしれません。

時間的な秩序について・・高速な乗り物、通信技術により資本主義は空間を克服したと言える。さまざまな生産において、単位時間あたりの生産性を高める努力は現在も続けられている。その結果、君たちが働く時点における労働時間は、年間千八百時間程度になるらしい。睡眠時間、食事の時間等抜いたとして君たちの手元に残る自由時間は年間四千時間程度になろう。そうすると君たちは人生の過ごし方として、この四千時間をどうするかを考えざるを得なくなる。労働時間を切りつめた上での自由時間であるが故に、この四千時間をどの程度に価値づけるかという動きも起こってこよう。働くことが美徳であると教え込まれた君たちは、無理にでも何かをしようとするだろう。何もしない場合、経済的に現代社会が、停滞してくることも考えられ得る。したがって時間に縛られない労働形態の形が模索され始めている。フレックス時間の導入やSOHO在宅勤務の形態などがそれであると思われる。時間に縛られない自由な人間の発想こそが現代社会の閉塞性をうち破る鍵かも知れない。


2022年02月02日