現代文語彙5

空間を考える
人間にとって空間とは・・今、君の目の前には机があり、先生がいて、黒板があってというように様々なものが広がっているだろう。それらと君の関係は、位置の関係や、君がそれらを認めるという認知関係だけだろうか。そういう事実の関係だけでなく、君にとって、君の周りに存在しているものは、ひとつひとつが君の生きると言うことに関して何らかの意味をもっているのではないか。生活している空間は、この意味で意味に満ちているだけでなく、空間そのものに意味が有ると言えよう。人間は心の中で、この意味空間を生き、思考し、行動しているといえるのだ。行動しているとは、空間を自分のものにしていることであり、行動することによって主体的な空間を作っているのだ。君たちから見ればぐちゃぐちゃに見える私の机の上も、私にとっては一つ一つが意味を形成している意味空間なのだ。意味空間は、体を直接ふれることのできる事物の存在する空間だけでなく、闇の空間、夢の空間などもあるわけで、人間はこうした空間すら生きることができる。

 


遠い、近い空間・・テレビ等の発達により密度と濃度の均質な空間が増えていると言われている。新聞やテレビを通して知る空間が、その代表的な空間だろう。インターネットをやったことがある人なら世界の全く行ったことのない場所での出来事を、その出来事の起こっている国の人と、同じ時間に、同じものを目の前で見ることを経験したことがあるだろう。がリアリティのない、現実味のない擬似的な経験であることも同時にわかってほしい。現代はこういったバーチャルな擬似的な経験がどんどん増えている。本当に経験したかのように思いこんでいるだろうが、嘘の経験にすぎないのだ。日々の生活基盤である自分の空間が縮小し、行動半径も小さいものでありながら、空間の意識だけは無限に広がり続けているのだ。真の経験しか語り得ないものは受け止めてはいないのだ。身近なこと、近いところのものに対する方が、遠いところのものより関心を持つはずなのに、地球環境を守れと叫んでいる生徒が、教室内で平気でゴミをまき散らすという例に見られるように、この遠近法の逆転とでも言える現象が起きている。国際コミュニケーションを研究する学生が、隣の部屋の住人と一度も話したことがないという笑い話まである。

 

 


晴れと褻・・はれの空間・赤白の幕で覆われた空間や時間(将来の幸運をいのる場・共同体の神と出会う場所という定義)黒白の幕で覆われた空間(お葬式・死者の魂がまだその辺を浮遊している場所であるとの定義)
けの空間・儀式の終了とともに日常的な空間、時間に戻される。
同じ空間でありながら、思いでのある個人にとっては「はれ」の場であり、関係ない人にとっては「け」の空間である場合もある。

2022年02月02日