現代文語彙4

家族について
家族というものが、どんなものかということに関して、私たちの社会において暗黙の共通の理解があるようです。その共通の理解事項は、長い時間のなかで組み立てられ、いわば物語として語り継がれています。家族はその物語をさまざまな場面で確認し合って生きています。誕生日を家族で祝うとき、生きている実感を感じた諸君もいるでしょう。こういう家族の物語を否定する人は、家族のことを考えていない、愛情がわからない人間だといって非難もされます。家族の物語は、実に上手にほんとうらしく作り上げられていて 、私たち自身もそうありたいと願っていると信じて疑わないストーリーです。長い歴史を通して、社会がつくり出したこの家族のイメージに沿って生きなければ、振る舞わなければ、よそ者として排除されます。

 

 お前は頭がおかしいのかと言われそうですが、実は集団が社会を形成し、リフレッシュしていくための構造として家族という物語を必要とし作り出したと考えてみてください。社会の秩序を維持していくための必要不可欠な装置として、家族という物語が作り出された、そうも考えられるのです。家族間の愛情、人間愛、この言葉も人類が誕生したときから存在していると私たちは考えています。人間という概念、言葉そのものはヨーロッパにおいて、たかだか150年ほど前に生まれたものだと指摘するフランスの哲学者がいます。愛、人間愛、この言葉も160年ほど前に、産業革命が終わり、市場社会が生まれると同時に生まれた新しい概念に過ぎないと言ったら諸君は驚くでしょうか。もちろん男女が求め合うこと、母が我が子に授乳する行為は、ずうっと存在していました。これらは動物世界も同じです。周りの世界をあるがままに見つめ、思った通りに解釈し、生きてきました。動物も人間も植物も対等の存在として受け止めていたと思われます。産業革命後、人間は考えたのです。我々は動物よりも優れた存在ではないのか、我々の生き方は本当に教会の神父様が言うように、自由に生きているように見えても、操られているに過ぎないのか。いや、そんなことはない、進歩と発展、それを支える社会の秩序、これこそが目指すべきものである。このような意識の変化を背景にして、家族という物語が、愛情という概念が作り出された、そう考えることもできます。ちいさな大人として、労働力として扱われていた「こども」も保護すべき存在に変わり学校が生み出されます。


家族の変遷・・第一次産業の時代には家族は生産の場としての家であり米・野菜・味噌・醤油に至るまでを家族単位で生産していた。家族の構成員が全員役割を持っており、この形態が制度的にも保証されていた。家制度がそれであり、家長は絶対権限(結婚・職業の選択にまで及んでいた。長男のみの特権)を有していた。ところが明治時代、資本主義が導入され、発展していく過程の中で多くの工場労働者が都会で必要とされるようになった。次男・三男の都会への流入・消費の場所としての家庭を都会に営むこととなり、家庭は生産の場ではなくなる。生活に必要なものはすべてお金を払って手に入れることとなる。家制度は現実の生活のスタイルとずれはじめる。戸籍の上では君たちは、保護者の家に属しているけれど、将来は独立して都市で非定住の消費生活を送るはずだ。都市にとどまって小家族を形成して、お盆や正月に帰省するだけといった生活になる。家制度のもとでは子供も労働者であり、家での役割は重要であったが、現在では都市生活者の価値基準たる学歴の有無を獲得するための役割を担う存在に変化している。親は子供の教育に熱心にならざるを得ないし、塾等の存在も欠かせないものになっている。現在では大家族、家制度は産業構造の変遷とともに崩壊しつつある。


日本型近代家族・・明治になって封建制度からの解放とともに近代家族が日本にも誕生したといわれるが、第二次世界大戦が終了するまでは上記に述べた家族制度が脈々と続いていたと考えられる。基本的人権が明言され、個人の意志が尊重されることになり、家族の重みから解放されたと思われるからだ。しかし、民法では戸主権は削除されているが依然として戸籍制度は残っている。つまり戸籍の単位としての大家族の枠組みだけは今も残っているわけだ。夫婦と子供は同じ姓を名乗るわけで、戸籍の上で家族という集団を基本と考え尊重し、一方で個人の人権や意志を尊重する、このことは矛盾を生み、ひずみが出ることになる。1884年、民法はさらに個人を認める制度も追加した、すなわち結婚した子供は新たな戸籍を作ることが可能になったのである。家庭という枠組みと個人という枠組みのいわば二重の縛りが存在することになったのである。家族の中の個人、個人のための家族、おそらくどちらかが中身のない空洞化したものに変化していくことだろう。個人を優先すれば夫婦別姓になっていく、この時、家庭とは何なのだろうか、名前だけの形だけのものになりはしないのか。


父性原理と母性原理・・戦前までの日本は母性原理社会と呼ばれていた。母性原理は場所の原理であり、その場所、集団、家族に属しているかいないかが、個人にとって決定的な要因になる。子供を分け隔てしない両親のように融和がその集団では何より重んじられる。これに対して、父性原理は個人を重んじる原理であり、個人が何を望んでいるか、個人がどう成長するかに重きをおく、成績の振るわない生徒を徹底的に教育し、出来のよい子は才能をどんどん伸ばそうとする力が働くこととなる。どちらの原理が優れているかはわからないが、問題となるのは私たちが、いや学校が安易に母性原理社会の中に父性原理を導入したことだろう。現在のさまざまな混乱はすべてこの点に原因があるように思う。同じ制服、同じ教科書で平等を強調しながら、成績評価となると順番を付け、おちこぼれを生産していく。この二つの原理をどう調整していくかが今後の学校の課題だろう。

社会的に作られた性差(ジェンダー)・・女性を育児と家事をするものとして家の中におしこめ、男性を労働領域におしこめる形での性差別にもとづき展開、発展してきた現代社会。かつての家族制度の有していた強さは家庭にはなく、愛情や情緒といったもろくて壊れやすいものに支えられているにしかすぎないのが現代の家庭であると言ってよいだろう。政府や会社は家族手当、配偶者控除等を整備して今なお、女性を家庭領域に封じ込めようとの努力を続けている。結婚したら女性は家庭にという考え方は、あいかわらず根強い。キャリヤウーマンと呼ばれる女性たちが結婚しないで社会に留まろうとするのは当然なのだ。女性の地位が会社の中ではまだ十分認められているとは言い難いということもよく聞く。出席番号で男がはじめで女性が後であること等に見られる現象も含め、社会的な性差を解消することが必要とされている。しかしながら、肉体的な差異は厳然と存在している。その違いを認めつつ、社会的な差別をなくす努力がなされねばなるまい。

2022年02月02日