現代文語彙13

2006年追試験の1番評論

 美術館という施設にはさまざまな機能があるが、その中心となるのは当然ながら作品の収集と展覧会の開催である。研究機関や情報センターとしての役割、美術館教育、また最近話題になっている(アーチスト・イン・レジデンスなどは、この二つの機能から派生した活動、あるいはそれを補完し充実させるための活動と言ってよい。  

 


「アーチスト・イン・レジデンス」Artist In Residence 「宿舎と創作の場と作品発表の場」を提供して、ある期間、芸術家にそこに滞在してもらって、創作活動を支援するものだと注には書いてあるが具体的にイメージできたであろうか。アメリカやヨーロッパでは1960年代から70年代にかけて盛んになった形のようだ。しかし、芸術家がどこかに滞在して支援を受けながら作品を創るということは、日本でも昔からあったことで、別に新しいことではない。 現在でも、福井県の「金津創作の森」のガラス工房では作家を目指す若いアーチストたちが頑張っている。あるいは「いまだて芸術館のアートキャンプ」と呼ばれているものも、この活動と同種のものだろう。 

ここで「美術館という施設」の歴史を簡単に見てみたい。 英語では美術館と博物館はともにmuseumであり、区別はない。日本では、美術品以外のものをあつめた所を博物館と呼ぶようだ。歩廊などを意味する「ギャラリー」が、美術館の意味でもちいられていることはご存じだろう。美術館の歴史は、個人から国家のレベルにいたるまで「収集・コレクション」から始まっている。

王、皇帝、貴族の収集品を陳列したり体系的に整理し蓄積していくというやりかたは、古代ギリシャ、古代ローマからなされてきた。中世は教会そのものが一種の美術館になっていた。ルネサンスとなり、古代を再評価する動きが起こり、教皇、新興商人、皇帝が美術品の収集をすすめていく。油絵が発明されて美術作品が財産となり、商品として流通するようになった。自分の家に収集室を設けて、美術作品を壁や床に飾り立て、親しい友人や著名な人など限られた人たちに見せていたという。フィレンツェのメディチ家やフランス王やスペイン王らのコレクションがもととなりルーブル美術館等の基礎が出来たらしい。

 

 

こうした王侯貴族による美術品収集は、一八世紀の啓蒙主義の時代をへて、一部のかぎられた特権階級から一般の人々に公開されるようになり、一九世紀にはいるとヨーロッパ各地に、美術館が次々に生まれていった。美術専門の美術館が成立した背景として、一八世紀のフランス革命混乱時の美術品の国外流出が挙げられる。この流出を避けるためにパリのフランス国立美術館が設立され、さらにナポレオン戦争によってもたらされたヨーロッパ各地の戦利品が収蔵されて内容の充実をみた。これを機にフランス軍に攻略された諸国も、自分の国の美術品を守る必要から、美術専門の博物館を充実させていった。

19世紀以降は、美術館が美術品収集を任せられるようになり、一方では新しくのしあがってきたお金持ちを中心とする個人の収集活動も盛んになる。美学や美術史の発達にともなって科学的に分類・整理され、時代順、地域別、ジャンルごとに再編されていく。それまでお金持ちの家の壁面全体をおおっていた作品が美術館においては、時間軸に沿って一列に作品群が並べ替えられ、観客は順路に沿ってめぐるだけで美術の流れが追えるようになる。

第二次世界大戦が起こると美術品の消失と破壊をさけようとする努力は、美術館活動においても一種の国際化をもたらし、それまでの権威と富の象徴や国家の象徴としての美術館という性格は変わっていくことになる。


「芸術作品というものの本来のありように照らせば何とも不思議な鑑賞形式ではないだろうか」 「芸術作品というものの本来のありように照らせば何とも不思議な鑑賞形式ではないだろうか」

 


 問題文で筆者が「不思議さ」と述べている立場を考えてみよう。私たちが美術館で作品を見る場合、三つの見方があると思われる。一つはひとつひとつの個別の作品を見るという観点。二つ目は、複数の作品が並ぶことに伴って言わば一つの意味を持った大きなうねり、流れのようなもの、個別の作品だけには還元できない意味を見る観点。三つ目に「展示の構成を考え企画した人のねらい」を読み取る観点がある。問題文の筆者は本来、美術作品は一つめの個別の作品を見る立場が鑑賞者としての基本と考えている。原則として芸術家も美術館展示を意識して創作はしていないだろう。

「私たちはここでひとつのジレンマに直面することになる」


「ジレンマ」だけでなく「葛藤」「軋轢」「相克」の四語について説明しよう。「ジレンマ」とは、ある問題に対して、二つの選択肢が存在し、そのどちらを選んでも何らかの不利益があり、態度を決めかねる状態の事を言う。dilemmaギリシャ語を語源とする英語であり、diは二つを意味しlemmaは仮説や前提を表す。二重の問題とでもいう語義である。「おいしいものを食べたい、でも痩せたい」有名な例ではハリネズミが寒いからといって、仲間のハリネズミと寄り添う。すると、針が刺さって痛い。離れれば痛くはないけど寒い。寄り添えば寒くはないけど痛い。

 


「葛藤・かっとう」は、字をご覧になればわかるように「つる草」の意味だ。「①人間関係のもつれ、いざこざ ②心の中に、それぞれ違った方向、あるいは相反する方向の力があって、その選択に迷う状態」と説明される。葛藤の集合の中に、二者択一のジレンマは含まれると考えればいい。

 


「軋轢・あつれき」固いものがこすれあって、ぎしぎしと音をたてることを「きしる」と言う。軋も轢も「きしる」と読む。仲が悪くなり争うことを軋轢と言う。「相克・相剋・そうこく」は相容れない二つのものが、互いに勝とう・克とうとして争うことである。あと、類語として「確執・かくしつ」もある。この語義は諸君の手で調べてみてほしい。

 「アトリエでの孤独な営為によって生まれた作品は、一点一点が自立した価値を持ち、単独で鑑賞されうるものであって」  「自立と言う芸術の奢りの当然の報いであり、なお純粋であろうとすれば昔懐かしいボヘミアンを自ら再演させられることになる」

「アトリエでの孤独な営為によって生まれた作品は、一点一点が自立した価値を持ち、単独で鑑賞されうるものであって」

「自立と言う芸術の奢りの当然の報いであり、なお純粋であろうとすれば昔懐かしいボヘミアンを自ら再演させられることに なる」

 

 

ボヘミアンとは故郷をなくした人という意味で使われる。一九世紀末、戦争や人種差別、政治的迫害などで故郷を追われた人々が、さまよう生活を送るが、あまりにその生活が長くなりすぎたために自分のアイデンティティをなくしてしまったような人々を指すようだ。移動生活者、放浪者として知られてきたが、現代では定住生活をする者も多い。かつてはジプシーとも呼ばれた。

 ただボヘミアという国があることを諸君はご存じだろうが、その国の人もボヘミアンと言う。このボヘミアンたちの住む地方は牧畜が盛んで、黒い皮の帽子に皮のズボンにベストがアメリカのカウボーイの服装に伝わっていったといわれているそうだ。このカウボーイスタイルは西ヨーロッパでは、芸術家気取り、芸術家趣味と考えられて、このデザインに対してボヘミアンやボヘミアニズムという言い方も生まれている。

ところで美術家とは何を行おうとする人か、すぐ答えられるだろうか。作品展に登場する画家と呼ばれる人はどんな人か。画家とは絵を描く人である、そう答えても、何も答えたことにはなるまい。先に書いたように、かつての画家の描く作品は社会から価値あるものとしての意味づけを与えられ、財産としての確かさをも備えていた。が、その画家の描いた絵画は、今の私たちの社会の枠組みの中で定まった位置づけを獲得していると言えるのだろうか。現代の絵画の世界は、いや描かれた映像の現象は混沌ではないかと思えるほどの「多様性」を示している。美術館を訪れた諸君は、そこに展示されたものに対してとまどいを覚えることはなかっただろうか。夢や幻想の世界、直線と四角だけで描かれた絵画。美術作品と呼ばれるものがこれほどの多様性を持った時代は初めてではなかろうか。

 「人間がみずからの内部の曖昧な感情をのぞきこみ、それを言葉やかたちや音によって定着し、何よりも自分自身のために、その感情を明確化する営みであり、自分自身による世界認識の営み」と書かれている文章を読んだことがある。何か決まったものを表現するものではなく、芸術は何かを見つけ出すことであるということだろう。しかも世界観、世界をどう見るかを確立する営みであるなら、自分自身が何者であるかを発見する営みでもある。と言うことは美を鑑賞する私たちは作品を通して、本質的なもの、普遍的なものを感じ取るように努力する必要があることになる。

 

 

 最近の施設の多くはホワイトキューブ型のシンプルなギャラリーを備えており」 最近の施設の多くはホワイトキューブ型のシンプルなギャラリーを備えており」 先にも書いたが、かつての収集家の家においては現在のように壁に余裕をもって絵を掛けるなどということはせず、いかに壁に余白を残さずに絵で埋めつくせるかということしか考えてないような、過密な展示がなされていた。作品は時代や地域やジャンルごとに分類されることなく、あたかもパズルのように壁面を埋めるための一つのピースとして扱われることとなる。作品を一点一点じっくり見せるより、財産としてのコレクション全体がいかに豊富であるかを誇示したかったのだろう。このような個人コレクションから発展した初期の美術館も、こうした資産家の収集室と同様だったようだ。展示室での作品の二段掛け三段掛けは珍しくなかったようである。

 現代美術を扱う最新の美術館は、直線に囲まれた真っ白い壁の「ホワイトキューブ」が理想とされる。外観はともかく内部は「ホワイトキューブ」で統一されていることが多い。白い壁面には、隣り合う作品が視野に入らない程度の距離を保って個々の作品が展示される。本問題の筆者の言う「一点一点が自立した価値を持ち、単独で鑑賞されうるもので」あることに重きを置いた展示が為されている。

 その論考の出発点として彼は上記の問題とも通底する美術館に対する典型的な否定的言説を取り上げている。たとえば小林秀雄だ。」  
「小林秀雄」この知の巨人の作品の一部でも是非、諸君には触れてみていただきたい。天才である。侵入した強盗の突きつける刀をものともせず、やおら起きあがり、煙草を口にすると説教をはじめたというエピソード。その強盗は翌朝、土産を持って再度、小林邸を訪れたと聞く。中原中也と女優をめぐって恋のさや当てを演じたという話も何だかうれしい。日本語よりも早く英語を読んだとも言われている。さて、彼の描く評論には、凄みがある。とてもこの人にはかなわないという畏怖すら覚える。若い頃、遠くから、ちらっとしか、姿を見かけたことがあるが、凛とした小柄な身体から大きなオーラが出ていた。

 「言葉は眼の邪魔になるものです。例えば、諸君が野原を歩いていて一輪の美しい花の咲いているのを見たとする。見ると、それは董の花だとわかる。何だ、董の花か、と思った瞬間に、諸君はもう花の形も色も見るのを止めるでしょう。諸君は心の中でお喋りをしたのです。董の花という言葉が、諸君の心のうちに這入って来れば、諸君は、もう眼を閉じるのです。それほど、黙って物を見るという事は難しいことです。董の花だと解るという事は、花の姿や色の美しい感じを言葉で置き換えてしまうことです。言葉の邪魔の這入らぬ花の美しい感じを、そのまま、持ち続け、花を黙って見続けていれば、花は諸君に、嘗て見た事もなかった様な美しさを、それこそ限りなく明かすでしょう。」

 

 

 この「美を求める心」の一節を読めば、美術館に対し小林秀雄が否定的言説をとることは納得できるだろう。小林秀雄は、「美の観念を云々する美学の空しさに就いては既に充分承知していた」「美が、僕の感じる快感という様なものとは別のものだ」ということを述べている。
 「骨董いじりは美の近代的鑑賞のアンチテーゼどころか、その一ヴァリエーションにすぎないのではあるまいか」

「骨董いじりは美の近代的鑑賞のアンチテーゼどころか、その一ヴァリエーションにすぎないのではあるまいか」

アンチテーゼ 
「テーゼ 」 ドイツ語で「命題」やるべき主題・為すべき事柄・方針書という意味であるが弁証法から理解した方がわかりやすい。弁証法の話をすることにする。

 

 弁証法(辞書の説明には以下のように書かれている)
 ある命題(テーゼ=正)と、それと矛盾する、もしくはそれを否定する反対の命題(アンチテーゼ=反対命題)、そして、それらを本質的に統合した命題(ジンテーゼ=合)の三つである。全てのものは己のうちに矛盾を含んでおり、それによって必然的に己と対立するものを生み出す。生み出したものと生み出されたものは互いに対立しあうが(ここに優劣関係はない)、同時にまさにその対立によって互いに結びついている(相互媒介)。最後には二つがアウフヘーベン(aufheben,・止揚・揚棄)される。

上記の説明を読んでも、よくわからないだろう。もう少しわかりやすく書き換えてみる。
  1.あらゆるものは、それ自身を否定する要素を内在的に持っている。
  2.その要素が外在化してもとのものと対立する。
  3.これらの対立はもとのものも、その対立物をも否定したより高度なものを生み出す。

 まだわかりにくいかな。それでは例で考えてみたい。

1.「教育においては優しさが必要だ」と言う人や「いや、教育においては、厳しさが必要だ」と述べる人がいる。この段階では、互いに意見は、まったく対立し、矛盾している。

2.「生徒を叱らないということが、本当の優しさなのだろうか」という意見や、「ときに厳しく叱ることが、本当の優しさではないのだろうか」といった意見。「厳しさの背後に、叱る人間の怒りがあってはならないのではないか」という意見や「厳しさの奥に、その生徒の可能性を深く信じる心がなければならない」といった意見のやりとりが行われる。

3.こうした意見が交わされる中で、思考は深まっていき、生徒への教育の本当の意味がわかってくる。そして、最終的には、単なる優しさでもなく、単なる厳しさでもない、それらを包含し、統合し、止揚した、さらに深いレベルでの教育のあり方に目が開かれていく。
 
どうだろうか、少しでもわかってもらえれば良い。大学できちんと理解できます。

「私が美術館から距離を置いて思い知らされたことは、それが紛れもない一つの権力として機能しているということだ。」

「恣意性を排す努力は必要だろうが、それは学芸員の立場がニュートラルであることを意味しない」

「私が美術館から距離を置いて思い知らされたことは、それが紛れもない一つの権力として機能しているということだ。」

このことに関連して「和魂洋才」という言葉を想起したのでこの言葉の説明をしてみたい。ご存じのように江戸末期には幕藩体制を支持するグループと天皇を中心とする近代化を目指すグループとが戦った。結果、日本は近代国家を創始することになる。

ところが当時、まず「国という考え方」そのものがなく、「村とか藩」しかイメージ出来ない人々がほとんどであった。したがって、まず「国とは何か」を法律を作り、学校制度を作って教えることとなった。じゃあ、何語で教えるか。日本語?いや日本語と言うか標準語は当時には、まだなかった。「はよ、しねの」の福井弁はあったろう。しかし、共通語は無かったのである。標準語を作る先駆けは、あるいは言文一致運動であっただろう。が何を土台にして新しい日本語を作っていくかを為政者は考えねばならなかった。

 教える内容は西洋の知識・技術を基本として組み立てられた。必要な作業は翻訳である。アジア諸国が植民地化されていく現状。アヘン戦争でイギリスに大敗を喫した中国。何としても西欧に対抗したい。このままでは日本も植民地化されてしまう。そんな危機意識の中で、知らず知らずのうちに、さまざまな翻訳語とともに自由主義・個人主義・近代文明が圧倒的な量とスピードを持って取り込まれていった。西欧文明は土台の部分に、自由で平等な個人・合理的な判断に基づく責任と義務という精神を内在していた。科学技術はもちろんのこと、文学、芸術に至るまでデカルトにはじまる二元論の考え方が含まれていた。

 

 

政府は日本古来の伝統的な精神はそのままに、物質的な近代化を果たそうと「和魂洋才」というスローガンを立てた。そのスローガンのもとで一定以上の効果は上がった。しかし、どんなに切り離したつもりでも、教育を通して近代的なヨーロッパ精神は入り込み、日本人の考え方を変革していった。「恣意」とは自分の思い通りにすることであり、「ニュートラル」とは『中立の』、『中間の』とか『はっきりしない』という意味である。学芸員は恣意性を排する、すなわち自分の好みの押しつけにならないように慎重な作業をしたに違いない。客観的な立場で作品群をとらえようと努力し、何主義にとらわれないように展示を考えたつもりだっただろう。しかし結果は、美とはこうあるべきだ、作品はこう鑑賞すべきだ、この作品はこういう価値があるという押しつけ、権力者の教育機関としての機能を果たしている。

 

 

モダニズムを象徴するアポリア
 モダニズムとは20世紀以降に起こった実験的な芸術運動を指す。従来の芸術に対して、伝統的な枠組にとらわれない表現を追求した。この文章ではモダンアートと読みかえても良いだろう。アポリア(難題)は、ギリシャ語で袋小路という意味である。行きづまりを指す。20世紀となり、未来派、キュビィズム、シュールリアリズム等の様々な運動が起こったが、これらの運動自体もやがて閉塞し、1970年代後半頃からモダニズムの終焉が叫ばれたことを本文の表現は背景にしていると思われる。

2022年02月02日