現代文語彙2

自意識について
今、この記事を書いているという私の行動は、他の人に見てもらいたいと思っている行為である。他の人の目に映る自分をできるだけ素敵な自分にしようとする。この他人についての意識こそが自意識である。自分を自分として意識するということは他人と自分を区別することです。他人からどう見られるかということを気にしなくなれば、自意識はなくなると考えられます。このあたりから考えてみます。



免疫系・・最近、自分が自分であることを決めるのは脳ではなく、免疫系であると言われている。非自己、自己ではない異物を識別して自己の一体性を守る。自己は物体ではなく状態であると考える。自分は確固とした独立したものではなく他者との関係を通して把握されている。他人から判断され、他人にすかれていたり、嫌われていたりすることを通して君たちは自分のイメージを持つものだ。他人にどう思われるかをいつも気にして、他人との関係の中で自分を作っているのだ。さらに私(自己)の曖昧化現象が起こっているとも言われている。自分と他者の境界の識別が曖昧なものに変化しているのである。それでは自他の境界をはっきりさせるのにはどうすればいいのか。異質な他者との交流をはかることを通して他者を発見しようとする。他者を発見することが自分の位置を発見することになる。社会性を持った自分を他者との関係で見つめ直す必要がある。その過程で、だんだんと自分を作っていく、それが人間なのかも知れない。


日本人の自我・・日本人の自我は、孤立的なものではなく他者との交流を通して形成されると言われている。相互依存・相互信頼を基本とする。日本人の自我は、間人主義・柔らかな自我と呼ばれることもある。「わたし、おれ、自分」君たちも他者との関係において一人称を使い分けているはずであり、このことからも明らかに相互関係を機軸にしていることがわかる。このことは、他者のあり方から自分のあり方を検討する内的コミュニケーションを発達させてもいる。校則から逃れたい、拒否したい、そう言いつつ、別の制服に着替える。茶髪・短いスカートこれらはユニフォームを着替えたにすぎないのだ。ところで自我とは、本能に変わる行動の規範のことである。近代的自我は「我思う故に我有り」から始まり、ルネッサンス期に封建的支配からの離脱をめざし自由で独立した自我として生まれたものだ。しかしながら時代が下るに従って、この自我は他者の存在を無視する自己中心的なものに変化してきた。エゴイズムである。

自閉化する自我・・自分の世界に他者の身体・表情・話し声が現れてくることが自分の望まないものであったりすると脅威として感じる人もいる。これが不安を生み、自閉化に向かう人が多い。望まない他者を自分の世界から抹消し、限られた領域の内部に自己を囲い込もうとする行為が自閉化であると言えよう。この自閉化を資本主義が支え、さらに加速していると言われる。

資本主義の変質のまとめ
 1 生産関係の変質 
みんな違って良い、世界の一つだけの花なんだ。これは実に巧みに演出された商品経済の魔法だと思う。私の小さな頃、筆箱は「像が乗っても壊れない」筆箱が人気で、クラスのほとんどが同じ筆箱を持っていた。今はどうだろう、クラス全員がそれぞれ違う筆箱を持っているのではないか。他者と違う製品を選び取ることが、自己表現であり、自己実現となる。母親の編んでくれたセーターを着ている生徒、破れを補修してある靴下をはいている生徒など、ほとんどいない。同じものを所有している連帯感など必要ない。今の若者は、こんな生活を望んでいる、老後は、こんな生活が必要となる、この車に乗ることが人生の幸福を生み出すのだ、何度も何度もCMが流れてくる。サラリーマンは定住してくれると困る、いつでも違う地域に移動できる生活スタイルが企業経営としてはありがたい。いつまでも同じ車に乗っていては困る、買い換えてもらいたい。流通こそが経済の発展に不可欠となる。商品化された情報・イメージを扱うサービス業の発展は流動する市場に直結されており、流動に見合う教育が要求され、多数の人々の孤立的な存在を社会として許容せざるを得ない。生産力の余剰・新たな労働の形態が発生する。

  2 商品関係の広がり 
商品のイメージは社会のすみずみにまで浸透。自我の形成は家庭空間の内部の個室で作られると考えられる。現在はその空間内部にまで情報機器を媒介にして多様な商品イメージが流れ込んでいる。それらを取捨選択する形でしかアイデンティテイが形成できないのが現代の若者である。

 

 


 

 

自閉化の限界・・自閉化された自我であっても労働力として商品化されざるを得ない。そのためには自分の肉体を外部に持ち出さざるを得ない。もし、自閉化を継続させるとしたら在宅勤務・在宅学習の形が導入されざるを得ないだろうし、そういう形が模索され始めている。がしかし、自閉化の広がりはくい止めるべきであり、このままでは学校や社会に参加することを拒否する若者が増える可能性がある。疫病の流行による在宅勤務、リモートワークや 家庭内での学習は、その実体を明らかにし始めた。やはり人々は生の声、動物としての触れあいを求めざるをえない存在であることがはっきりした。
他人の目を全く気にしなくなっても自意識が残っているかもしれない。自分の内部に、まるで別の何かの目、人ではない他人を感じたことはないだろうか

拡張する身体・・道具を使用しはじめた時から、人間は自己の身体を拡張し行動し始めた。情報化社会の成立に伴ってさらに、その拡張は著しいものとなっている。君たちも自己の内部に複数の、いや数え切れないほどの自分が存在していることを感じているだろう。その場その場で自分を演じて生きているのだ。自閉化している自己をどこかに隠し、もう一人の自分の仮面をかぶり、日々、生活しているのが君たちなのだ。テレビ、ラジオ、インターネット等情報機器を通して、君たちの意識は全世界に拡張されるとともに、夥しい数の自分を内部に囲い込んでいる。どこまでが自己なのかわからなくなり、この点においても自己の曖昧化が生まれているとも言えよう。自分の身体が最初の他人であり、次にそれを拡大する形で他人なるものが他者として現れてくる。

2022年02月02日