現代文語彙

なぜ現代評論の問題を難しいと感じるのか。

それは、貴方が現代世界という森の中をさまよっているからだと思います。暗い森を抜け出したい。でも、どの方向に進めば良いのか、全くわからない。目の前の木や草を見る事はできる。実っている果実を食べることもできる。ただ歩いている。ご飯だよという言葉に反応して食事をする、学校に行くべきだという周囲の言葉に反応して登校する。自分は何かを求めている、でも何を求めているのかが、わからない。みんなとは違うんだ、そう言いながら学校指定制服を脱ぎ捨て、変身したつもりで、丈を短くしたり、長くしたり、裏地に刺繍のあるものを買ったり、テレビやSNS、どこかで見かけた別の制服に着替えている。自分は子どもではない、そうつぶやいて,おいしくもない煙草を吸って大人になったふりをしている。

どうすれば現代評論文が読み解けるのか。まず、自分のいる森の構造を学ぶべきです。どんな形をしているのか。どこに入り口があって、どこに出口があるのか。道は何本あるのか。世界は、どんな風にできたのか、どんな構造をしているのか。今、自分はその森のどこに位置しているのか。

 

 

構造が見えてきたら、今度は自分です。自分は何者なのか、何を求めているのか、自分の足で、自分の意思で歩いているのか。そもそも自分とは何者なのか。

さあ、それでは旅に出かけましょう。とりあえず光の見えそうな方向に向かって歩き出しましょう。さまざまなものを見て、さまざまな経験を重ねる中で、自分が何者なのか、何を求めているのかもわかるかもしれません。このおびただしい量の私の妄想世界をさまようことで貴方自身が何かを見つけてくださることを祈念いたします。

 


(追記)題材として、思いつくまま妄想を重ねていきたいと思いますが、過去のセンター試験問題の評論の一部をも、話題として、いくつか取り上げたいと思います。これなら著作権の問題にも抵触しないかなとも妄想しております。具体的には現代文語彙の12番目からが評論問題の一部を取り上げる形式で書いています。11番目までは、入試等で取り上げられる事の多いテーマを取りあげながら書いています。ギリシャ神話のキマイラではないつもりですが、これからの説明においては、長年の教員生活で手に入れてきた、多くの著者の文章に書かれていたさまざまな記事を使うことになると思います。恐らくはあちこちのつまみ食い、論文の剽窃のような事態になるやもしれません。自分の意識の内部で、どこまでが自分の持ち前の思想や思いつきで、どこからが受け売りかもわからないような始末でございます。学者でもなく、教員でもない市井の趣味人の老いの繰り言だとお考えくださって、ひらにご容赦願いたいと思います。学識、造詣の深い方の失笑をかう内容にも、なっておると思いますが、妄想、すべてが妄想と言うことで、はじめたいと思います。(使用している写真、イラストは自撮りのもの、無料のもの、それに無断での掲載のものが含まれます。全くの教育目的、悩める生徒諸君の救済のための使用ということでご理解いただきたいと思います。もちろんお叱り等の指摘があれば、即座に消去させていただきます。)

2022年02月02日